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いのち

 今日は仕事も休みだったので、舎弟(またまた言うが実弟ではない)と那珂川の河原に行った。



 ここは地元でもとても気に入っている場所だ。久しぶりに来る。
 車を止めて川に向かって歩いていると、いつもより水の匂いが強いような気がする。川なのに、まるで海のような…。
 ふと足元を見ると、鮭が死んでいる。
 「ぎゃー」と思わず叫ぶ私に驚いて振り返る舎弟。「さ、鮭が。」ななな、何故。無理矢理動揺を鎮めて、「この死んじゃった鮭たちは、卵を産んだからなの?」と呟いていると、前を歩いていた舎弟が「いくらがありますよ~。」と指差す。
 増水した状態で産卵したが水が引いてしまったのか、河原の石の間に確かにいくら(というかむしろこれはまだ筋子か)が散乱している(あ、またやってしまった)。
 「これは食べてもまだしょっぱくないですよ。」と舎弟。
 それぐらい知ってるわい。
 
 でも、ここに鮭が上ってくるなんて全く知らなかったと思いながら川面をぼーっと眺めると、正に今何匹もの鮭が、遡上しようとしているのに気づいてまた驚く。北海道の伝説で読んだみたいに、川面を埋め尽くす、というわけにはいかないけれど、時々尾鰭が弾く水しぶきが上がり、目を凝らせば少し深いところで、流れに逆らうタイミングを見計らうようにじっと待っている姿がそこここに見えるのだ。
 待つ。時が来るとくっと一気に数メートル進んではまた待つ。時には流れに押し戻され、もう一度体勢を立て直し、また遡るタイミングを待つ。
 この光景は始めて見た。
 気の遠くなるような作業だ。自分がこんなことやれって言われたらやりたくない、というより出来ないなあと思う。でも、鮭には出来るのだ。
 生命ということを考えた。健気だ、とか、感動した、とか、そう言ってもいいのかもしれないけど、何となくそれも違って、とにかく、生きているんだ、ということを考えた。


 めったに見られないような青空に、鳶が気持ち良さそうに舞っていて、淵に伸びる崖には色づき始めた木々が光を浴びていて、河原を犬の散歩の人たちが通りすぎる。
 鷺なのか、白い鳥が水面すれすれに飛び去りながら、大きな岩に降りて憩う。雁の一種であるのか、黒い鳥が二羽連れ立って川下の方へ飛んで行くのが、あの雰囲気は恋人とか夫婦じゃないな、何となく自分と舎弟みたいだと思いながら、眺めている。
 
 
 命に囲まれたら、ある少年の事が当たり前に心に浮かんでいた。
 ただ、彼が安らかに眠れますように(たとえそんな言葉は意味がなくても)と願った。
 

 宮田翼君のご冥福をお祈りいたします。
 (リンクを張るべきなのですが、その作業に対してどうしても違和感があり、出来ません。埼玉県協会のHPをご覧になって下さい)


 

 この記事の大枠は金曜日に書いたもので、「今日」という表記が読んでいただくのにどうかなと思ったのですが、そのまま更新します。
by kefurug | 2009-11-06 22:16 | たわごと

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by kefurug